忘却

 

 

目まぐるしく球体の中を廻る生活に かつてダンボールに詰めたはずの何かは遠心分離されてバラバラになってしまった。

青い日々がずっと続くと思っていた僕らの幼すぎる約束もいっしょに。

せっせと拾い集めようとしても 指の隙間からこぼれ落ちてしまう。

邂逅と別離の交差点で 今日も1度見たはずの天使の影を探している。

吹きさらす雨風に全てを隠すように咽び泣いても 彼女はもうとなりにいない。

雫のような光を落としてくれたひと。

もし、これが永遠の別れなら どうかご無事で。

 

 

 

 

 

 

 

 

明日

少女は知っていた。翼の生えたブーツを持っていないことを。膨れ上がった自意識を抱えたまま、人間にも、虎にさえもなり切れずに、正しく並んだ真四角の箱の中で生き損なったその先の樹海でまた死に損なった。

 

少女は知っていた。どんな未来も愛せないことを。それは、見ないふりをして引きずってきた情けない過去の上に積み重なっていくものだから。体に真緑の血を宿し、命を前借りして逃げ続けても、いつか決断の日はやってきて黒い明日に飲み込まれてしまうのだ。

 

虫のように光に吸い寄せられてたどり着いた部屋の中で膝を抱えて座り込んだ少女は、バケツの底に黒い悲しみが溜まっていつの日か溢れてしまうのを、擦り切れるほどに見つめることしかできずにいた。

 

それでも、少女は決めていた。全ての悲しみが溢れて流れ出したら、血の滲むような努力で会得した自身の社会性にさえ唾を吐き捨てて水辺に大きな国をつくるのだ。

 

そこには理屈も法律もない。誰の声も届かない。それはそれは綺麗な、彼女だけの宝石。

 

 

 

 

 

 

1日目:百代の過客

8月26日の早朝、僕は東京駅にいた。解体した愛車MERIDA150を入れた大きな輪行バッグを抱えて周りの人に最大限気を遣いながら駅構内を歩く。速く走る事に特化した夢のマシンも解体してしまえば運びづらいだけの巨大な荷物だ。人の邪魔にならないようにわざわざ始発電車で来たというのにそこそこ人は多い。ここにいる人間は誰も僕が本州縦断を目論んでいるなんて事を知らない。ただ大きな荷物を抱えた若者に対する周囲の目は優しいものではなく、僕の体はほんの少しだけ小さくなっていた。

 

新青森駅までの切符を買って新幹線を待つ。ここでもまたマシンが周囲の人の邪魔にならないように進行方向に向かって1番後ろの座席を駅員に頼んだ筈なのに、いざ乗ってみると何故か切符に表示されている座席は1番前にあった。結局、置く場所がなくなったマシンとともに3時間半ずっとデッキに立っていた。思えばこの旅の向かい風はこの時点で吹き始めていたのだ。

 

新青森駅で新幹線を降りた僕は生まれて初めて東北の空気を吸った。違いなんて分からないけど。コンビニの店員さんの言葉で遠く離れた土地に来た事をようやく実感した。慣れた手つきで自転車を組み立て予めヤマト運輸の営業所に送っておいた荷物を受け取りに行った。リアホイールにキャリアを取り付けパニアバッグとテントを積んだらいよいよ出発の時。僕は国道7号線に立ち、南を見つめる。この道の遥か先に山口県下関市が待ち構えているなんて想像もできない。

 

トゥルーマン・ショー」という映画を思い出した。

生まれた時からシーランドという離島を出たことがなく、平凡な暮らしを送っていたトゥルーマンはある事がきっかけでこの世界と自分の生活が虚構なのではないかという疑問を抱く。彼の疑いは正しく、シーランドという島はいたる所に隠しカメラが設置されている大きなドーム状のスタジオで、周りの全ての人間が演技をしている作られた世界だったのだ。生まれてから現在までトゥルーマンの生活は壮大なノンフィクション番組として全世界に放映されていた。

 

もしもこの道が陸続きじゃなかったら…

 

あり得ない話だけれど、そんな事を考えると心は高揚してペダルを漕ぐスピードは自然と上がる。

 

見てきたものや聞いたこと 今まで覚えた全部

でたらめだったら面白い そんな気持ち分かるでしょう

 

気づけばこの一節を叫ぶように歌っていた。サドルに跨がれば僕はこの旅の主人公となり、あとは全員エキストラ。誰の目も気にならないし、道路上で優先されるべきはこの僕である。

 

夜に入った弘前のサウナ流れていたテレビでは、愛は地球を救うという名目のもと芸人がみんなに応援されながらトライアスロンをしている映像が流れていた。必要な荷物以外を背負って走るのは大変だろう。こっちは気楽でいいやと思った。

 

0日目:となり町までの冒険

 

小学校1年生の頃、1歳年上の幼馴染ヤスと自転車に乗って隣の学区にある駄菓子屋に行った。世界の全てが町内で完結されていた当時の少年にとって、自分の力で学区の外に出て買い物をするという行為は特別で、ちょっとした冒険だった。学区の境界線である白岩川にかかる橋を越えた時の興奮を、100円で買ったグレープ味のロングガムの味をまだ覚えている。もしかしたらその時から自転車という乗り物に魅せられていたのかもしれない。男子なら一度はこういう経験があるのではないか。

 

後日学校で冒険の話を誇らしげにしていたところを担任の先生に聞かれてしまい、職員室で何人かの先生にこっぴどく叱られた。

こんなにも勇敢な冒険をしてきた僕はなんで怒られているんだろう?

そう思いながら大人たちの圧力に怯えて泣いていた。

 

時が経ち、元少年は自転車で本州を縦断しようと思い立つ。カーテンを閉め、エアコンをガンガンにきかせた部屋でタオルケットに包まりながら。東京から富山まで自転車で帰ると宣言した時と同じように周りの人たちは言った、なぜそんなことをするのか。なぜそんなことをするのか?そんな事は僕が1番知りたいよ。理由なんて挙げれば100個くらい出てくるような気もするし、何1つないような気もする。別に、青森から山口までの旅も、となり町までの旅も本質的には大して変わりはしないのだから。小学生の頃はそんな冒険に疑問を持つ人間など誰もいなかったはずだ。

 

 

大学生がヒッチハイク旅をした後に何か意味を見出したくてSNSに書き込むフレーズランキング1位から3位を独占している言葉 ”人との出会い”だとか、初めから無い物を一生懸命探す”自分探しの旅”だとか、旅の中での”成長”だとか、そんな要素はこの旅にはない。ただ、いつまでも夏休みの子供みたいに、光の中で遊ぶだけ遊んで死んでいくだけ。

 

何故みんなは魔法の乗り物を手放してしまったんだろう?

本当は我慢しているのだろうか。

それとも僕が子供じみているのだろうか。

はたまた最初から興味などなかったのだろうか。

 

そんな僕の旅路を、ここに記す事にした。

 

 

さよなら宝島

彼は水没都市で暗い少年時代を送っていた。どこにいても息が詰まりそうで、いつも死に場所を探していた。ふとした事がきっかけで彼はノアの方舟のチケットを手にして、いつの日か旅立った。

 

かつての水没都市は時を経て宝島になっていた。幻の宝島にはもう忘れてしまった人の魂が眠っていて、あまいあまいお菓子が手に入り、よく熟れた果実がそこら中に実っている。どこに行ってもみんな彼をもてなし、褒めてくれた。まるで王族にでもなったみたいじゃないか。本当は、行く場所なんてのはどこにもないのに。冠なんてのは錆びついた虚構なのに。

 

ひと休みのつもりが気づけば長い間宝島での生活に身を預けてしまっていることに気づいた彼は、自分に嫌気がさして泣いてしまった。あらゆる繋がりの中では、研ぎ澄ませていた自分の針がなまくらになって使い物にならないのをよく知っていたから。街の底を這いずり回って夜露を啜るような生活の中でしか何かを生み出すことができないことを知っていたから。

 

沈んでいく街で 並んで歩きながらふたりで朝焼けを見たあの夏の煌めきさえも海に沈めよう そうだ それがいい

 

そう言って彼は、暗いトンネルを抜けてまたひとりになった。

 

 

 

 

夏を待っていました

6月の雨は過ぎ行く春を洗い流し夏を研ぎ澄ませていく。小説の一節に描写してあるような爽やかな風など吹くわけもなく、真昼の鮮烈な光線に晒されて額に浮いた汗は頬を伝い空気を切ってアスファルトを溶かした。

 

ドロドロになった地面はアイスクリーム。足を取られた僕はどこにも行けないでいる。少年たちはこの世の何処へだっていける乗り物を立ち漕ぎで、輝く夏の中を加速して遠ざかっていった。そしてもう僕の目には見えない。

 

夏の正体というものを、

いつまでもいつまでも捉えられない。

 

その最中にいるのになぜか懐かしい気持ちになり、思い出の中を生きているような焦燥感。永遠という幻を見せてくれる罠。かき氷シロップを一気に飲みしたような甘さと、その奥にあるほろ苦さの予感。少年少女を大人に変える魔法。

 

遠くで鳴る花火にも、日差しが水面に乱反射するプールにも、入道雲を積み上げた空にも、命を燃やす蝉にも、汗をかいたペットボトルにも、その細部に夏は宿っている。

 

 

それでも、誰も捕まえることはできない。

ただ、その輝きを垂れ流すように享受するだけ。

 

 

 

 

惑星探査

 

私はエイリアン

君に言葉は通じない

気持ちを詩に表せず メロディーも奏でられない

 

 

私はエイリアン

自ら放った核弾頭で星が消滅

ただ今はもう 悲しみだけが広がる荒原

 

 

私はエイリアン

知らない星に流れ着いて 帰り道はない

紅灯の海で 無機質な森で立ち眩む

 

 

私はエイリアン

名前のないインディアンに怯える

9畳のシェルターだけが安全地帯