0日目:となり町までの冒険

 

小学校1年生の頃、1歳年上の幼馴染ヤスと自転車に乗って隣の学区にある駄菓子屋に行った。世界の全てが町内で完結されていた当時の少年にとって、自分の力で学区の外に出て買い物をするという行為は特別で、ちょっとした冒険だった。学区の境界線である白岩川にかかる橋を越えた時の興奮を、100円で買ったグレープ味のロングガムの味をまだ覚えている。もしかしたらその時から自転車という乗り物に魅せられていたのかもしれない。男子なら一度はこういう経験があるのではないか。

 

後日学校で冒険の話を誇らしげにしていたところを担任の先生に聞かれてしまい、職員室で何人かの先生にこっぴどく叱られた。

こんなにも勇敢な冒険をしてきた僕はなんで怒られているんだろう?

そう思いながら大人たちの圧力に怯えて泣いていた。

 

時が経ち、元少年は自転車で本州を縦断しようと思い立つ。カーテンを閉め、エアコンをガンガンにきかせた部屋でタオルケットに包まりながら。東京から富山まで自転車で帰ると宣言した時と同じように周りの人たちは言った、なぜそんなことをするのか。なぜそんなことをするのか?そんな事は僕が1番知りたいよ。理由なんて挙げれば100個くらい出てくるような気もするし、何1つないような気もする。別に、青森から山口までの旅も、となり町までの旅も本質的には大して変わりはしないのだから。小学生の頃はそんな冒険に疑問を持つ人間など誰もいなかったはずだ。

 

 

大学生がヒッチハイク旅をした後に何か意味を見出したくてSNSに書き込むフレーズランキング1位から3位を独占している言葉 ”人との出会い”だとか、初めから無い物を一生懸命探す”自分探しの旅”だとか、旅の中での”成長”だとか、そんな要素はこの旅にはない。ただ、いつまでも夏休みの子供みたいに、光の中で遊ぶだけ遊んで死んでいくだけ。

 

何故みんなは魔法の乗り物を手放してしまったんだろう?

本当は我慢しているのだろうか。

それとも僕が子供じみているのだろうか。

はたまた最初から興味などなかったのだろうか。

 

そんな僕の旅路を、ここに記す事にした。