風のさらさら流れる木立の丘に小さな一軒家。
病弱な少女は春の訪れとともに種をひとつだけ植えた。
それはまだ誰も知らない花。
名前さえもついていない花。
咲くかどうかも分からない花。
芽を出した葉は奇跡の色をしていた。
彼女はその小さな苗を育てる生活に身を置く。
葉が成長するにつれて次第に体調も回復していって
主治医の先生も褒めてくれた。
苗が育つと鉢を変えた。
数少ない友だちが集まってそれを手伝ってくれた。
彼女はこれまでの人生が間違ってはいなかったのだと知る。
夏を凌いで秋が深まり、吐く息が白くなりはじめた頃、花は咲いた。
彼女は嬉しげにその美しい花を見つめ、幾重にも重なる花びらの奥に隠れた弱さを認めた。
先生はぜひ家の外に出すべきだと、もっと多くの人に見せるべきだと言った。
彼女はあまり乗り気ではなかったが先生の言う通りにした。
雨が降った。世界で1番冷たくて黒い雨。
鉛色の雲から注ぐ強い雨は瞬く間に花弁をもぎ取った。
ねえ先生、どうして一生懸命に育てあげた花は冷たい雨に晒されなければいけないのでしょうか、
わたしはただ、わたしがここにいたという小さな欠片を残したかっただけなの。
先生は何も言えずに立ち尽くした。彼もまた黒い雨を降らせた大人の1人なのだから。
雨で洗われた後の空気は、皮肉にも未来さえいらないと思えるほどに澄み渡った美しさだった。